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ジャンプ2011年35・36号

HUNTER×HUNTER連載再開。

ワンピ

覇気は個人が集団と戦える不自然に対する回答としてどうか?どうか、というと保留したいのだが、延々と雑魚をなぎ倒す絵を描かれるよりは良いので…って前にも似たようなことを書いたような気がする。

この話はホーディーさんをぶちのめしても問題が解決しない、ラスボスは彼ではなく人と魚人の対立なので、彼は情けない(一見)ラスボスなのだろう。しかし、それではバトル漫画としてのカタルシスは得られない。最近のワンピは見え見えのメッセージ性がうざいわけだが…見えるとうざいが想定読者が小中学生なので分かりやすい必要はある…メッセージとエンターテイメントを両立させるためにどうするのだろう。

バクマン

七峰くん(が再登場)にはガッカリしました。なんというか、前回と比べて分り易すぎる悪役ですよね。親が大金持ちで。子供(あえて子供と言おう)が大人を顎で使って。

もう七峰くんは漫画雑誌を作ってしまえばいいのではないか。売れる漫画を作って儲けるのが目的じゃなくて、あくまでもジャンプと亜城木が目的だから行動がへんちくりんなのであって。でも、彼にとっては何をやっても道楽でしかないことが彼の周辺事情から察することができてしまうわけで、別に失敗しても痛くも痒くもないわけで、そんな敵が倒されようが倒されなかろうが…。うーん。

HUNTER×HUNTER

ちょ、おま、この予告編的内容で2週間待て…だと…!?単行本で煽られた飢餓感がさらに煽られるぜ。

鏡の国

一見簡単な問題解決法が提示されたことで、あと10話で終わっても100話で終わってもキレイに終われる状態を確保したという。さすがは叶よ…。

(金未来杯)叢鋼

話の内容は読み切りテンプレだが、絵が優れているので許される。取って付けたようなヒロインがいないのも良いが、一般的には良くないんでない。課長は一般的じゃない。

助っ人

丹生の金持ち設定を浪費した回。典型的な「お金持ちのお宅訪問」を一歩も出ておらず、SKET DANCEの個性が一切ない回としか思えなかった。

黒子

やばい面白い。やってることはライトウイングとあまり変わらないのに!

ブリーチ

石田を月島ではなく銀城が切った理由「面白いから」。…。…。…。

単に完現術の一連の話が人気出ないから放棄したようにしか見えないんだぜ…。

だけど、この裏切られた感がいいんですよね、ブリーチは。

マジコ

いい奴vsいい奴が許されるのは、脇役同士の対戦だけ。基本線は絶対善vs絶対悪でないと。現実にはそうでないからこそ。だから実はいい人でした事情がありました設定は、あまり好きじゃない。少年漫画の枠でやる以上は。そのような枠を儲けること自体に意味がないとする向きもあるだろうが、少年漫画って名乗ってるんだからさ。今までの読者の正義パワー(悪い奴ならボコにして良いという嗜虐心かもしれない)はどこに振り下ろされればいいの。

ワンピで言えば、今まで倒してきた敵たちは、それぞれ絶対悪を持っていました…いた…はず。わかり易い例をあげると、今の魚人編でアーロンさんにも事情が設定されたわけですが、「主人公の仲間の親(がわり)を直接殺害した」という一点で、主人公たちにとっても読者にとっても悪で居続けることができています。実は悪いヤツじゃなかったは通用しない。仮にベルメールさんがアーロン一味(部下)によって殺害されたのであれば、アーロンは悪で居続けることができない可能性がありますが、それだと今度ははっちゃんが赦されない。直接殺害というのは重い。だからエースを権力ではなく腕力で殺害した赤犬は、ルフィと読者にとって倒すべき悪で居続けることができるでしょう。

戻ってガスパさん。読者が直接体験した彼の悪は兄弟の殺害(死んでないかも)。主人公と読者の正義の心が一致するには弱い。だって、どうでもいい奴らだし。彼らに共感するとガスパさんに共感することになるし。

殺害殺害って言ってるけど、取り返しのつかない永遠に失われる何かなら、何でも構わないと思う。主人公の尊厳でもいい(平たく言うと、いじめられっ子)。それは悪を倒して取り戻してしまうわけだが、主人公=読者とすれば克服と転生みたいなアレなので、その方向で満足感は得られるからいいや。

一番のアレは、ただのバトル漫画と化していること。だから上のようなことが欠点に見えるんだ。

一休

とんちは?

コメント:1

那珂川 11-08-10 (水) 5:34

 マンガ的な面白さというのは、基本的には非日常性からやってきます。バトルものの「暴力」という非日常は、かなりの爽快感を与えてくれるわけですが、単に
暴力がそこにあっても気持ちよくありません。そのため、暴力を気持ちよく味わうために、正義というカバーをかける、または、ピカレスクものと割りきって徹底的に
暴力に徹する事になるでしょう。少年漫画で後者は極めて難しいので、いきおい前者になります。
 ところが、現実の正義というのは非常に信用なりません。現実世界で「正義」という言葉を使用するケースを想像すれば、それは容易に理解できます。
 だからこそ、暴力の爽快感を気持ちよく味わうためには、胡散臭さをとりはらった分かりやすい正義を提示して、読者に疑う余地を持たせてはいけないという事
になります。暴力が行使される事に対しての疑問を持たせてはいけません。
 物語上の要請により正義を使用する場合は、わかりやすく、疑問の余地なく、提示できねばならないわけですが、そうなってないあたりに気持ちの悪さを感じま
すね。大人の物語として正義の相対化をして、考えさせるような話しのつくりは、少年漫画的な爽快感とは対極になりますし。

 メッセージ性に関しては、むしろ見えた方がいい、と思っています。
 いわゆる、子供に向けたメッセージ、共存であっても、正義であっても、友情であっても、いいのですが、それらの伝えたいメッセージが、ブレずに、主人公たちに
よって「体現され」「完遂される」のであれば、おそらく、それはとても面白い作品になると考えています。
 問題に感じるとしたら、メッセージが多様すぎてどれが重要なのかわからないとか、作品内でそのメッセージに対する反論が存在し、それが読者にとっても一定
の説得力を持ち、かつ、メッセージがそれを論破できない場合、などです。反論が提示され、読者がそれに納得しかけても、「それでも○○じゃないとダメだ」という
行動が示され、それに共感できたなら、それは大きなカタルシスになると考えます。
 そもそも、伝えたい事が何もないメッセージレスな作品など、例外なく駄作です。
 メッセージがあっても、それが読者に伝わらない作品は、作者のひとりよがりです。
 あからさまなメッセージであっても、これこそが正義である、としっかり描写できたのであれば、少なからず読者を惹きつけるでしょう。
 ということで、ワンピースの問題は、メッセージがわかりやすい事ではないと思います。むしろ、一本筋の通ったメッセージが、ぶれはじめている事だと思います。
私は、ワンピースは、仲間の絆を繋いでいくお話と認識しています。なので、今の話の前に、しらほしでも、その兄の誰かでもいいから、仲間になるような物語があ
ればよかったのではないかと思います。ちょうど、ビビのお話がそうであったように。

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