投稿日
2008-11-21 01:21
カテゴリ
世間話

「される側」からすればテロと呼ばれる行為が、絶対的に悪いとは思わない。そんなルールは勝者が勝手に都合よく決めた事だからだ。革命禁止とか、ありえないでしょ? もちろん自分が「される側」ならテロも革命も御免こうむる。だけど「する側」なら、有形無形の協力をするだろう。

年金官僚を殺害するというのは、どっちかといえば我々一般庶民は「する側」にシンパシーを感じないでもないのではないだろうか。だが、私はこの犯人とこの犯行を僅かも認められない。

  1. 1件目、妻も殺害している。
  2. 2件目、ターゲットに関係なく妻をほぼ殺害(たまたま死亡しなかっただけ)。
  3. 現在まで報道されている内容から、どう見ても他の家人がいたら殺害した可能性が高い。
  4. 逃げてる。2人殺して1人重傷の責任を取る気が見られない。

以上により、犯行の正当性を認められない。妻を処刑すべき理由があったとは思えないし、あるという主張も犯人側からされていない。3番については「まだ道半ばだから」という可能性もありえるが、だったら犯行声明くらい出せと思う。

なので、たとえ腹の底で「ざまみれ年金エキスパート」と思ったとしても、それは腹の中でねじ伏せて認めないことにする。なぜなら、もし仮に自分が義憤にかられて犯行(善行)を決意したとすると…。

最低でもこうじゃないかと思うからだ。でないと、法律でも常識でも重大犯罪である殺人を犯してまで訴えたかった事、大義名分が失われるのではないだろうか。だが、この事件の犯人と犯行からは、そういうところがまるで見られない。だから、ただ「殺害したい」が前にあって、「殺害すべき理由」が後から来てるようにしか受け取れない(それと「あいつ殺されてざまあ」と思う事は別の話)。

ただの社会に不満を持った殺人犯だとしても、悪いヤツを殺せば褒めてくれる人がいるかもしれない。普通の人を殺したら秋葉原のアレみたいな評価になる。でも、もし彼がトラックで国会に突っ込んで政治家だけを殺していたら、本人の動機はどうあれ拍手の数は多かったかもしれない。

そういうわけで、なんだろう、これが革命やテロだとすれば「やり口が気に入らない」ってことか。とにかく不愉快だ。

コメント:4

那珂川:2008-11-21 02:37
 きょ~そさんがシンパシーを感じない部分について考えてみました。
 社会の一員としての那珂川は、当然ながら殺人という手段をとった時点で、何があろうが認めない、と発言せざろうえないわけですが、個人としてはやり方が気に食わないとはほとんど思っていません。
 で、その違いを考えてみました。

1. 1件目、妻も殺害している。
2. 2件目、ターゲットに関係なく妻をほぼ殺害(たまたま死亡しなかっただけ)。
3. 現在まで報道されている内容から、どう見ても他の家人がいたら殺害した可能性が高い。

 家族はターゲットに含みこんでも違和感を感じません。あくまでも個人的にはですが。
 例えば、アメリカが日本を占領して、私がアメリカ相手にテロをする場合、アメリカ国民であれば無差別にやります。占領という手段から利益を間接的に得ている一員である以上、外から見れば、占領政策に反対だろうが無関心だろうがアメリカという共同体の一員にしか見えませんし、その人間が無関係とか言ったら、憎しみがつのるだけです。俺たちの資源奪った金でてめえの国は豊かなんだろうが、その豊かさを思いっきり享受しておいて被害者にむかって自分は無関心とか、お前こそ死ね、って考えると思います。
 さすがに幼い子供とかが殺されたら、感情的に嫌な気持ちになりますが、それでもロジックの上では殺されてやむなしと思います。あ、これは、当人が殺されて当然と仮定した場合、その子供も殺されてやむなし、という意味です。当人が殺されて当然かどうかは、また、別の議論が必要でしょうし、本件の場合、殺されて当然とまでは思いませんので、その時点で前提が崩れていますが。

 ですので、家人がいたら殺すのも必然性があると考えます。使用人とかも含むで。
 だって、打倒すべき敵対側の人間なんですもの。自分がテロやるとして、当の本人以外の殺害を思いとどまるとしたら、世間がその行動を嫌悪して自分が世間にアピールしたい事が伝わらないデメリットを想定した場合で、それがないなら、一族郎党皆殺しにします。実現可能なら。

4. 逃げてる。2人殺して1人重傷の責任を取る気が見られない。

 犯行声明は、逮捕に繋がる情報を自ら発信するリスクを犯す事になるので、目的途中ならやらないでしょう。
 また、目的を完遂している場合でも、犯人が被害者を殺す事の必然性を信じているならば、「奴が悪いから殺した。むしろ、自業自得だ。自分は被害者(のひとり)で復讐を果たしただけだ。ゆえに、こんな奴のために、なぜ、自分がリスク(自殺や死刑)を負わなければならないのか。その必要はない」と考えると思います。
 例えば、さま吉が殺されて、その犯人が何らかの理由で釈放となり、それを私が殺したとします。そんな奴を殺した事を罪に問われるのは、私は納得いきません。だって、そいつは殺されて当然の事をしたわけだし、私がやった行為が罪に問われるという事は、そいつが殺されるに値しない罪しか犯していない事になるからです。なので、責任をとらないために自殺する、はあるかもしれませんが、裁かれる事に納得したり、自ら裁く事はしないと思います。
 もちろん、法治国家に住んでいる身である以上、裁かれなければならないのは理屈ではわかりますが、それを感情的に受け入れられるかは別問題です。

 って事で、自分が同じ行動に及ぶ場合、この犯人と同じように行動したんじゃないかな、と考えてしまいます。
kyouso:2008-11-21 03:53
当然、私も公的に口に出して言う言葉は「何があろうが認めない」です。

1. 主目的はテロ→とすれば世間アピールも目的に含まれるはず→だとすれば今回のやり口は支持できないし気に入らない
2. 主目的は復讐→またか

1の場合は“これが革命やテロだとすれば「やり口が気に入らない」”の通りです。自分がテロ仲間なら「たとえ目的が一緒でもお前とは一緒にやれない」です。名を捨て実利をとれないってことか?

2の場合、犯人的に2で世間的にも2なら何も問題はありません。秋葉原で起こったアレとかと大して違うとは思えません。ですが、犯人的に2でも世間が勝手に1だと思って評価しているのが気に入らない、だって1だったら無茶苦茶じゃない? だから1だとしたら失格、たぶん2だろ。ってのが元記事でしたつもりの主張です。私も勝手に2だと思って評価しているわけではありますが。

なので、那珂川さんが書かれるような「復讐者」の犯行なら、敵の範囲が今回のような犯人もいるでしょう。妻と子供はいい暮らししてるから敵、親も同様、親戚もいい目見てるだろうし、使用人はそいつに給料もらってるし、ただの知り合いもうまい汁吸ってそうです。元部下だって…と考えていくと、敵の範囲なんて結局はやる人次第で、憎しみの大きさの分だけ敵の範囲も広がるでしょうし、スッとするまで破壊し続けなきゃならない。下手したら近所の人まで巻き込んで自爆したり、漫画の世界なら人類ごと終了とかありますね。

>私がアメリカ相手にテロをする場合
これは無差別に賛成。なのになんで本件は「やり口が気に入らない」のか、ということですね。問題の大きさ認識が 被占領>国内の諸々 だからなんでしょうか。アメリカ打倒、はたぶん自分の利益と一致するんですが、本件は一致度が低いのかな…。

>そんな奴を殺した事を罪に問われるのは、私は納得いきません。
その理由では納得いきませんが、アピールするために裁かれてやるのなら納得いきます。自分がやる場合、何らかのアピール抜きには考えられません。違いはそこで、私にはアピールを抜きにできるほど大事なものがないのかもしれません。

話はちょっと変わりますが、あんまりそういうので復讐した話って聞かないですよね。「自分なら犯人殺すのに」って思ってる人は少なくないと思うんですが。ここに2人いるし、警備がいくらあったって丸ごと爆破すればいいじゃんって人もいるでしょうし。実行されたらニュースバリューはあるだろうから報道されないとは考えられないし、なんでなんでしょうね。正当な裁きなんて糞喰らえ、ってのが昨今なら頻発してもおかしくないと思うんですが。
那珂川:2008-11-21 10:32
 復讐とテロって境界線がすっごく曖昧じゃありませんか?
 何かに対する怒りって、私憤と公憤を明確に区別できるものではなく、入り混じっているものだと思います。怒りを公憤に転化して、政治的主張を押し通す手段として使えばテロという事になるかと思いますが、パレスチナでイスラエル兵士に投石する人も、アフガンで富裕国の外国人を殺害する人も、スリランカでインド人を爆殺人も、根底にあるのは「家族を殺された」とか「自分の生活が苦しい」とか、私憤から出発してると思うのですよ。
 頭の中のロジックだけで考えて、「今の世の中はおかしいから仕組みから作り変えるべき」って確信した上で、更に実行に移せる人ってごくごく少数だと思いますし、革命家もテロリストもそのスタート時点においては、私憤に溢れた復讐者だと考えます。
 ですので、例えば本件の犯人が、「自分の生活を不安にされた」とか「大事な人がその不安によって死に追いやられた」とかの私憤からスタートしていても、現行の厚生労働省のあり方やシステムがおかしいから、それに関わった人たちに復讐した事によって、システムが変わる事を希望するならば、事の是非は別に置くとしても、政治的主張をもったテロリストとしていいと思うのです。

 余談ですが、復讐者としての面で見た場合でも、シンパシーを感じる人の過多が異なる以上、秋葉原のアレとは異なると思います。ロジックは同じでも説得力が違えば、同一の分類はできないかと考えます。

 ですから、復讐者でありテロリストである事は両立します。前者だけというのはあるでしょうが、後者だけというのは稀有な例かと。
 こう、生活が窮乏せず、それなりに面白おかしく暮らせるから多くの人は政治に関心を持たない、と別トピックでkyousoさんも書いておられました。ならば、テロリストという過激な政治活動に至るスタート地点が私的な憤怒であるケースは、非常に多いかと思います。自分が強い痛みを感じたからこそ自爆までできるわけで、頭の中で考えた正義だけで自爆にまで到達できる人がいたら、そちらの方が理解が困難ですし恐怖を感じます。 なので、テロリストが敵対勢力とみなす相手を皆殺しにしよう、皆殺しは無理でもせめて少しでも多くの人を殺そう、そこに至らずとも、少なくとも助命のために努力しようとは思わない、という思考は、私には十分理解できますし、そこをもって評価を落とそうとは思わないのです。
kyouso:2008-11-22 18:38
昨日は個人的な事情でアレだったので、1日遅れました。


・復讐とテロ

>境界線がすっごく曖昧じゃありませんか?

前のコメント書いてて、このへんだなーと思ってました。私はテロリストに

>頭の中で考えた正義だけで自爆にまで到達できる

これに近いことを要求しているのでしょう。持たざる者に対して期待するには無理があるなと思い始めました。視点が広い意味での勝ち組(というか、される側)から離れていないからなのかな、と思います。この辺に関しては完全に同意まではいきたくありませんが、そっちの言ってることの方が尤もだ、くらいには理解しました。


・本件の場合

今の日本で大多数の人が今回の事件にシンパシーを感じることを認めたくない→そこまでやる奴が出てきて、それを支持しなきゃならないほど自分らは切羽詰まってないと思っています(「日本の現状に対するお前の認識は甘すぎる」という反論には何とも言えませんが)。極端に言えば、まだパレスチナやアフガンやスリランカほどじゃない、まだディストピアまで行ってないよね、っていう。なので、主張する手段として「元高級官僚を殺害」はまだしも「元高級官僚を一家皆殺し」はやりすぎいう評価です。理解はできてもシンパシーは感じられないし、感じたくない。


那珂川さんのコメントによって理屈的には少し方向が修正されましたが、感情的にはやはり認めがたい、というのが私の結論です。私の認識の中で日本がもう少し切羽詰まって同じような事が起こったら、今回よりは評価や支持、あるいは同調をする、のかなあ。
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