軍事 Archive
渡嘉敷島集団自決「軍命令は創作」?
- 2006-08-27 (日)
- 軍事
ちょっと長いので引用しません。リンク先をご覧ください。
まじか。あれこれ覆るのか? でも人々の意識に焼き付けられた情報は出来の悪いRWみたく簡単に上書きされない予感。
そのうち、南京もホロコーストもクルド族も北朝鮮拉致もなかったことになったりして。こういうのってやっぱしその時代の人間がみんないなくならないと真っ当な評価がされないような気がする。見聞き体験した当事者・被害者は信憑性が高く思われるが、一番信用ならない。
追記。「信憑性が高く思われるが、一番信用ならない」→「証拠や調査が不十分でも無条件で人々に信用されやすく、疑われにくい。また、疑うこと自体が否定されがちである」の方が適切かなあ、と少し悩んだ。
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ミサイル
- 2006-07-13 (木)
- 軍事
弾道ミサイルとか巡航ミサイルとかミサイル用語が飛び交いましたが、じゃあこれらってどういう意味で、どういうものを指すのか? というところを勝手に説明するので勝手に読んでくださいませ。
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冷静な対応を求める声
- 2006-07-06 (木)
- 軍事
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撤収イコール撤退か?
- 2006-07-06 (木)
- 軍事
同じようで違います。地上波のニュースではこの件が出た当初、かなり混在してました。意味の違いを考えず適当に印象で言ってたとは思えませんが…。
そこで、各政党・各報道機関が自サイトで本件をどう書いてるか調べてみました。だいたい該当サイトの1-2箇所しか見てないので、混在があるかどうかは調べてません。
- 自民党:撤収
- 公明党:撤収
- 民主党:撤退
- 共産党:撤退
- 社民党:撤退
- おまけの国民新党…記事がなかったので代わりに:
拉致問題が解決されないのみならず、今次、ミサイルが発射されたことは、外交についても最善を尽くしてこなかった小泉内閣の大きな責任である。
プ
与野党でハッキリ分かれました。
- 読売:撤収
- 毎日:撤退
- 産経:撤収
- 朝日:撤退・撤収(チラ見で混在発見)
なんとも分かりやすい色分けです。
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北朝鮮ミサイル発射?
- 2006-07-05 (水)
- 軍事
あちこちで報道されてるので特にソースは提示しません。
なぜこの時期になぜこの数を? なのかはまだ分かりませんが、この発射をもって「北朝鮮やっぱ馬鹿だな」とか、なんでそういう考え方になるのか。なんでそんなに楽観的なものの見方ができるの? 神風が来れば勝てると同レベル。
彼らは彼らなりの目的と意図を持って行動に及んだはずで、その目的と意図を、行動のみから、それも理解できないからといって「馬鹿だから」「狂ってるから」「チョンだから」などの低レベルな理由であると推測し本気でそう思っている人は、普段私がよく馬鹿にする「政治家や官僚は馬鹿だから」だと本気で思ってる人と大して変わりません。北朝鮮の指導層はお前より馬鹿じゃないよ。
少なくとも日本単独で北朝鮮を叩き潰す力はないのだから、あまりなめてはいけないと思う。恐れるだけでは北朝鮮の思う壺だろうから実像より上に見てもアレだけど、下に見るのはよくない。昔は明らかに上に見すぎており、今は下に見すぎていると思う。
彼らが日本にミサイルを撃ち込む能力を持っていることと、日本は確実に迎撃または報復攻撃を行う能力を持っていないことは、以前から何も変わっていません。踊りすぎ。
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ミサイルと衛星打ち上げロケットの違いの補足
- 2006-06-22 (木)
- 軍事
先日の記事、ミサイルと衛星打ち上げロケットの違いで不親切な部分を補足します。
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ミサイルと衛星打ち上げロケットの違い
- 2006-06-21 (水)
- 軍事
話題のテポドン2号ですが、ミサイルであるとする解釈(=危険)と、衛星打ち上げロケットである(=安全)とする解釈が出ています。この2つはどこが違うでしょうか?
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問 : 横須賀港に米原子力空母の配備を認めるか?
- 2006-06-03 (土)
- 軍事
最初に述べるが、私はこの手の反対運動を否定はしない。
現在の日本が守られるために米軍は必要か不要かについては意見の分かれるところだと思う。私は必要(かつベターな選択)だと思っている。同様に、違うと思っている人もいる。だが、目的に達する手段について意見が違うだけで、目的自体はあまり変わらないはずだと思っている。(守る対象にもいろいろあり(なぜ守るのかは割愛)、小さい方では自分・家族・友人・近所・会社などから、大きい方では民族・地域・宗教・国家・地球から宇宙まで(か?)。現在の我々はその中で国家という単位を基準にして考えている。なぜかと言われると…よくわからないが、シンパシーを感じる最大単位が国家だからだろうか? 日本人はほぼ単一民族で無宗教的だ宗教を意識していない(補足:ほぼ全員が同じ教義の信者であるといえるため、特に意識していないという意味。本記事コメント参照)から、身の回りの次に同族意識があるのは地域と国家なのかもしれない。アメリカ人はたぶん国家だろう。中東やアフリカやユーゴは民族や宗教なのだろうか。少なくとも私は、見知らぬ日本人の死>見知らぬアフリカ人の死、と感じてしまうので、地球人や宇宙人ではなく日本人である。地震で1万人が死んだことより、俳優の岡田真澄が死んだ方により大きなショックを感じた人は多いのではないだろうか?)。
だから、まじめに世界平和とか言ってる人を馬鹿にすることは、鏡に馬鹿と言うようなものだから、しない。だけど、上っ面だけで世界平和を叫ぶ人は、鏡だろうとなんだろうと面白いから馬鹿にする。
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